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【書評・ネタバレ】世界基準の幼稚園を読んで、我が子も通わせたいと痛切に感じた件

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2歳4歳のワンオペ育児中のアラサー。 激務コンサル会社を辞め、子育てマニアになるべく日々精進中。 慶応経済卒で学歴コンプを抱えつつ、子供が個性を最大限に生かすことができるよう、おうちモンテやおうち英語に取り組む。
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話題になっていた世界基準の幼稚園を読了しました。

外資系企業で海外のビジネスパーソンとの交流から、
日本の教育に疑問を持ち、
幼稚園という6歳までの教育が重要だと説く筆者。

単なる早期教育ではなく、
「内発的」動機付けを重視する教育。

そのために、
愛着形成を重視し、
そして、子どものフロー状態を大事にする。

とてもとてもすばらしい書籍で、
保育料金は月10万円を超えるようですが、
我が子も世田谷に住んでいたら通わせたい!
と思わせる保育内容でした。
(食事内容や習い事など通わせる費用など考慮すれば、月10万円は相応・・・いやむしろ安いくらいかなと感じました)

 

日本の教育方針で満足ですか?

 

世田谷にあるファーストクラスルーム。

掲げる標語が、「日本の教育方針で満足ですか?」です。

なんて挑発的なんでしょうか・・・

さすが、元ビジネスパーソン的な感覚をお持ちだなと。

でも、その挑発的なキャッチコピーとは裏腹に、
その内容は、とても暖かいものでした。

 

 

保育要領に答えがある!

 

1948年に刊行された「保育要領 幼児教育の手引き」。
ドイツの教育学車フレーベルやモンテッソーリなどに影響を受けた、児童心理学者の倉橋氏が中心となりまとめた本です。

この本が、
「幼稚園教育要領」
「保育所保育指針」
という子育てバイブルの原型です。

その内容は、保育のあるべき姿が理論的かつ実践的に記してあり、
70年以上経ても、とても新しくうつる内容だそうです。

ですが、実際の保育の現場では、
その内容は軽視され、
なかには、「うちはそういった理論的内容は重視していません」と居直る園長先生もいらっしゃるとか・・・。

筆者は、
子育てには答えがあるのではないか?
と提示しています。

 

もちろん、個々の個性を大事にし、
そのペースに合わせることは必要ですが、

内発的動機付けをもった子どもを育てるための
一定のルールというか、
共通したエッセンスはあるのだと感じました。

 

保育所保育指針に反する現場独自の流儀!?

 

前述した「保育所保育指針」には、

「子どもが自発的に」
「子どもが主体的に」
「子どもが自分で」

という文言が多数でてくると筆者は説きます。

その上で、保育現場では、そうした指針が無視されがちで、
絵画などの表現で押し付け型の早期教育がなされたり、
食べる楽しみではなく、好き嫌いをなくそう・しつけが重要とされたり・・・
と園独自の方針・伝統に基づいた教育がされがちだと説いています。

 

6歳までに磨きたい3つの能力

 

筆者は、6歳までに磨きたい能力として
1:自分で壁を突破できる人になる
2:革新的な提案ができる人になる
3:誰とでもうまくやれる人になる

という3つの能力をあげています。
そして、そのうちの1:自分で壁を突破できる人になるために大事なのが、
外的動機付けではなく、内発的動機付けがあるかとうか?
ということでした。

そのために、必要なのが
・母親の愛着=安全基地があること
・フロー状態の維持=熱中しているときにストップかけない
・ほめるのではなく、感謝を伝える
ということでした。

 

ほめると、子どもは自発性を失う

 

とくに、褒めるという行為は、
褒められなかったらやらない!という間違った考えに至ってしまうので、
子どもが何かを達成したら、ほめるのではなく、
「ありがとう、助かった」と感謝を伝えることが大事だということです。

 

これはモンテッソーリでも言われていることですよね。

私も気をつけてはいるのですが、
最近、息子がなにかをしたら
「ぼく、賢い?えらい??」
と私の評価を聞いてくるようになったので、これは要注意だと感じ、
ほめないように心がけるようにしています。

「できたね!やれたね!」

「お母さん助かったわ〜、ありがとう!」

と褒める言葉はいくらでも内発的動機付けの言葉に変換することが可能です。

 

私の園選びは自発的動機付けが決め手

 

ちょっと話がかわるのですが、
園選びで私が気をつけていたのは、なにより、
この「自発的」動機付けを促せる環境があるかどうか?でした。

モンテッソーリ園も考えたのですが、
現在通っている週1のモンテ教室で、
教具の使い方で、かなり独創的な使い方をしたがる息子。

私がやりかたを提示すると、
息子はなんで??どうして??と聞いてきます。
そして、息子独自の工夫で教具を使うんです。

モンテッソーリの教具は、1つ1つの教具が、
それぞれ1つの原理を教える意味をもちます。
それに即したシンプルで美しいデザインです。

なので、1つ1つの教具に、やり方の「型」があるわけです。
その「型」を受け入れて、まずは「型」に慣れて、
その上で発展を遂げるのが、
モンテッソーリ教育です。

けれども、息子は、その「型」に対してそもそも疑問を持つタイプ。

どちらかというと、レッジョエミリア的に、100の言葉や100の道具で、
そもそも、どんな道具や言葉を使うのか?
それすら息子の自由にまかせたほうが
息子らしい幼児期を過ごせるのではないか?

と感じたのです。

詳細はこちらに書いています。

<<なぜ、私がモンテッソーリ園を選ばなかったのか?>

そして、いくつかの園を見学し、
一番びびっときたのが、春から通う園です。

この園は、レッジョエミリアまではいきませんが、
美術に特化していて、
園内にはいたるところに生徒の作品が飾られています。

そして、その作品が、型にはまらないというか、
良い子ちゃんの作品ではない、
非常に子どもらしい、豊かな、自由な作品ばかりだったのです。

先生が、良い意味で指導しすぎない。
そんな校風が、作品からひしひしと伝わってきたんです。

あ、ここだわ。
と見学をして直感的にこの園に決めたのでした。

 

抑圧された幼少期を経て

 

私は小学校受験を経験していますが、
思い返せば、6歳の時点で、
こうすればいい点数が取れるだろう・・・
こうすれば先生に褒められるだろう・・・
という、内発的動機付けよりも、外的動機付けの強い子どもになっていたように思います。

そして、その考えは、今でも引きずっている部分があります。

自分のやりたいことよりも、先に、
周りがどうしているか?周りにとっての普通とは?
どうしたら周りに評価されるか?
といったことが気になり、
いざ、自由に自分でなにかしてみたら?
と言われると、与えられた条件の中でしか考えられず、
結局は指示待ち状態になってしまう・・・。

こうした自分の特性は、
幼少期に培われたのかもしれないなと、
本書を読んで改めて感じました。

 

私が、モンテッソーリ教育に固執するのも、
こうした幼少期の体験がもとになっています。

母が包丁を使って切る様子、
鍋で炒める様子・・・
私は、それを見て一緒に料理がしたかった。

でも、おそらく危ないからという理由で、
私にまかされていたのは、
ゴマすりと、台拭きのお仕事でした。

それは、幼稚園を卒業し、小学校に入ってからも

与えられるお手伝いの内容は変わらず・・・。
次第に、私のなかから、お料理がしたい!という気持ちは無くなっていきました。

 

高学年になると、
料理は母がするものという考えにまでなってしまいます。

3歳なりたての息子を見ていて、
2歳〜3歳は、自分でやりたい!の黄金期だなと痛感しています。

 

※参考:おうちでできるモンテを書いた、当ブログ人気記事

[blogcard url=” http://mamanavi.net/ouchi-monte1/“]

 

私は、なるべく、息子のやりたい気持ちに沿えるよう
環境づくりと声かけに徹するのみ。

危ないから、やめさせよう。
ではなく、
危ないなら、ではどうしたら安全にできるか?
を考えるようにしています。

こう考えられるのも、
自分が幼少期のやりたい黄金期に、
させてもらえなかったからだと思っています。

話がかなり逸れてしまいましたが、
それくらい、子どもにとって、
環境や周りの大人の声掛けは大事なのだということ。

本書を読み、改めて、
これから通園することになるこども園は
大丈夫なのだろうか・・・?とw

ま、おうちで修正できるところは、修正していきたいと思います。

 

革新的な提案ができる大人になるための6つの理論

 

1:横並びではなく、ふぞろいな世界で育てる

 

みんなと同じ行動をしないとわがままだ
という考えで育てている園もあるようです。

でも、確かに、幼少期に、みんなが同じ事をやるというのは、
とてもハードルの高いことだし、不自然なことなのかもしれません。
子どもに、同じダンスをさせるような競技を運動会でさせる園もあると思いますが、
私は、これに少し違和感を覚るのです。

筆者はとても上手に表現しています。

最初は駄々をこねていた子ども達もしだいにあきらめが早くなります
〜略〜
実態は「やりたい・やりたくない」「好き・嫌い」という主張にともなうたくさんの個性を、
先生や親御さんがモグラたたきのようにつぶしていっただけの話です。

うん、まさに!!とうなずかざるを得ませんでした。

和をもって尊しとする日本人からすると、
みんながしているのに、自分だけ嫌だからと拒否するのはどうなのか?
集団行動ができないのではないだろうか?
と考えがちです。

ですが、これからのグローバル社会、
そしてAIが闊歩する社会において、
そういった考えばかりでは、革新的な考えは産まれにくいのでは?と感じます。

特に、前職時代にかかわった、たくさんの経営者・幹部クラスの方々は、
どちらかというと、良い意味で空気が読めない、集団行動が苦手という方が多かったように思います。

そういった方々はある種のカリスマ的空気をもち、革新的アイデアに優れた方でした。

筆者は、
習熟度のレベルに応じた課題をだすことで、
子ども達が自分のサイズのなかで、快適に毎日を楽しむ事ができると説いています。

折り紙の課題でも、
難しいカエルを折れる子もいれば、
できないこには、少し簡単なカタツムリを折らせる・・などです。

ここで大事なのは、一斉に同じ事をさせるために、
全員ができるカタツムリの課題をさせないということです。

できない子どもに基準をあわせると、
習熟度の高いこどもが暇を持て余すからです。

これは、公立小学校でも問題になっている「ふきこぼれ」現象でも言える事ですよね。

私は私立小学校に通っていましたが、私立でも、塾などで先取り学習をしている層がいて、
ふきこぼれ現象というのは少なからずあったように思います。

海外のように、年齢でクラスをわけるのではなく、
習熟度別にわける授業があってもいいのかもしれません。

なにより怖いのは、子どもの学ぶ意欲がなくなってしまうことだと思うので。

 

2:自由時間は絶対に減らさない

 

授業プログラムがびっちり組み込まれた園では、
子どもが完全に受け身になってしまいます。以前通っていた森のようちえんの先生がこう仰られていました

 

「以前勤めていた園では、カリキュラムが組まれて、子ども達はたくさん授業をうけていました。だからか、自由時間になると、先生?僕は何をして遊べば良いの?と聞いてくるようになるのです。これを見て、保育内容に疑問をもち、森のようちえんに転職してきました」
と。

※参考:関西でも数少ないもりの幼稚園に通っていた頃の記事です

[blogcard url=”http://mamanavi.net/ikoma-morinoyouchien/”]

 

目の前に提示された課題を解決するのは簡単です。
けれど、実社会で求められるのは、
「解決すべき問題そのものを発見する力」
だと筆者は説いています。

なので、そのためにも子ども達の自由時間が絶対に減らさないというのが原則で、
なぜなら、その自由時間がフロー状態を作り、最も生産的な時間となるからです。

北欧では、こうした自由時間を重視し、
小中学校においても、大人がまったく介入しない自由時間を確保するように努めているそうです。
なぜなら、「結局、人生でいちばん長いのは自由時間だから」だそう・・・!!!

 

3:絵を見せられても、すぐにほめない

 

評価を感じさせる褒め方は、子ども達に上手・下手を意識させ、
上手に書きたい!と周りのお友達を意識しだすことになるからです。

これは、前述した、内発的動機付けの話につながることですね。

なので、大事なのは、成果ではなく努力をほめるということです。
(ベストセラーとなった「教育の経済学」でも、このことはデータ的な裏付けをもって述べられていました)

子育てで大事な事は、自分の能力を伸ばすための「ラーニング・ゴール思考」なのです。

なので、絵を見せられて大人がすべき対応は、
評価スイッチをオフにして、「何を表現しようとしているのか」に注目することです。

 

4:見栄えのいい絵を書かせない

 

教育に熱心あ有名幼稚園に通っている子どもや、受験教室に通っているこどもほど、
自分の自由に表現するのではなく、周りの友達にあわせた絵をかきがちだそうです。

それは、常に、比較されて、優越をつけられるという環境にいるから身に付いた
子どもの生きる知恵なのだと思います。

 

5:無意味な事にとことん付き合う

 

ここで考えておきたいのは、
だれにとって無意味なのか?ということだと思います。

子どもの行動って、本当、無意味なものが多いです。
でもそれは、大人が見るから無意味なのであって、
子ども目線で考えれば、すばらしい敏感期が隠れている場合が多いように感じます。

筆者も、
子どもの「無意味」な行動は、許される範囲でなるべく放任してあげてください
と説いています。

 

6:食事・トイレ・睡眠はマイペースで

 

ルソーは著書「エミール」のなかで、

 

子どもにつけさせてもいいただ1つの習慣は、どんな習慣にもなじまないということだ

 

と説いています。

子どもの生理現象との付き合い方で最も参考になったと筆者が挙げているのが
デンマークの保育園の取り組みでした。

(デンマークの教育に学ぶ:江口千春)

例えば、運動会をしない理由として日本の園は行事が多すぎると。

これ、私もずっと抱いていた違和感でした。
毎月行事があるのはいいことですが、
でも園の通常保育というか自由時間が、
行事の準備のために犠牲になっているという実態。

たしかに、一糸乱れぬ踊りや行進は、子どもの成長を感じる場面かもしれませんが、
社会主義国の子ども達がやっているそれと一緒じゃん!!!
(もっと穏やかな口調で筆者は述べていましたがw)

運動会というイベントの機嫌は、富国強兵政策のもとでの、軍隊意識です。
ある意味、従順な兵隊を大量生産するためのシステム。

小さい頃から刷り込まれた意識って、怖いですね。

これからの社会を生き抜くために必要な力だと私は思いません。

 

集団訓練でみにつくのは、協調性ではなく、無条件で集団に従うことが正しいのだと思う同調性です

 

と筆者は言い切ります。
また、海外では日本の運動会のような行事は無く、そのわりには日本人の競争心があるように思えない・・・とも。

うん、本当にそうですよね。
運動会、あって当たり前!
という感覚は、古すぎるのかもしれません。

もし息子が運動会の練習に参加したくないと言ったら、
私はその意思を尊重しようと思いました。

日本の保育は、集団のなかで自分を「殺し」、周りに合わせることをよしとする雰囲気に支配されがちなため、
知らず知らずのうちに幼い心に強い「同調力」を植え付けてしまうのです。

もう、本当にそうですよね。

日本の経済成長力がのびなやむ今こそ、
日本の保育の常識とされていることを、
今一度、考える時期にきているのだと思いました。

 

誰とでもうまくやれる大人に育てる6つの理論

1:ひとりあそびを十分にさせる

一人遊びを十分にしなければ、大きくなった時に、周囲とのコミュニケーションに問題を抱える場合があるそうです。

幼稚園は早い子だと3歳から始まりますが、
実際に、集団生活ができるようになるのは4〜5歳ころだというのが通説のようです。

なので、早生まれのお子さんがいれば、できれば2年保育が理想なのかなと。
うちも早生まれですが、幸い、入園予定園では、芸術に力を入れているため、
1人で何かに没頭する時間=ひとり遊びの時間が多いので、
その点は良かったのかなと感じています。

 

2:甘えたい子は何歳でも甘えさせる

 

おもいきり甘えた経験があると、人は周りの助けを自然と借りられる人になる。

甘えた経験があるほど、周りへの配慮がある人間になる。

そうです。

確かに、周囲への甘え方が上手でない不器用なタイプほど、
自分だけで問題を抱えてしまい、孤立しがちなのかもしれません。

よく過労で自殺などというニュースが流れますが、
もし、周りへ上手に甘えることができていれば、
自分のなかだけで問題を抱え込むこともなかったのかもしれないなと感じます。
もちろん、色んなタイプの方がいるので、一概にこれが解決法だとは思いませんが、
甘え上手というのは、有利か不利かと問われれば、有利なのだと思います。

 

3:ルールはこどもたちに作らせる

 

サッカー日本代表のハリルホジッチは、日本人選手のメンタリティとして「le vis」が足りないとことあるごとに言っているそうです。

「決められたルールの中で、自分に有利なように状況を動かす力」を言うのだそうです。

私も前職時代に色々とやりとりした経営者や幹部クラスの方々は、
たしかにこのある種のずる賢さに長けていた方が多かったです。
主人も、このタイプですw。
息子も、主人の血筋をひいているなと感じることがありますww

筆者も、欧米人の多くは
「ルールは話し合い次第で変えていけるもの」
「ルールは解釈次第で自分たちの側に引き寄せることもできる」
と考えていると説いています。

その上で、
ルールを自分たちでつくることを覚えて子どもは、確実に強い協調性を身につけていきます
と結論づけています。

これって、きのくにこどもの森学園とか、その通りに運用しているな〜と。
日本人って、これはルールだから!って言われたら、そこで思考がフリーズして、
そのルールを変えようとか、解釈を変えてみようとか、
あんまり考えない気がします。

そういう、枠にはまった考えが幼少期から身に付いてしまっていては、
大きくなった時に海外で渡り歩く事って難しいのでは?って思ってしまいます。

ですが、なかなか30人1クラスの大規模園ですと、
ルールはルール。
ダメな物はダメ!で一律に保育されてしまいます。

もちろん、園側の事情はありますので、
家庭では、兄弟間でルールを自分たちで作らせるということをしていきたいと思いました。

 

4:みんなは禁句

 

日本人はよく自分の意見がないと言われるが、
筆者はその原因が、「成長過程における本質的なコミュニケーション不足」と推測しています。

みんながではなく、子どもの目を見て、叱る、子どもの言い分をきく、というコミュニケーションです。

 

5:仲直りさせる前に、言い分をきく

 

3歳児ならまずは自分の気持ちを表出させること
4歳児なら自分とは違う気持ちがあることに気付かせること
こうした経験を積み重ね5歳になると、いつのまにか子ども達だけでトラブルを解決できるようになるそうです。

子どもが仲間はずれにしたり、一緒に遊ばない時には、
必ずこどもなりの理由があるからで、
みんながしているからという理由で、子どもの個性を押さえつけたらいけない
ということなのだと思います。

理論で読むと、心から納得!!なのですが、
実際に子どもを相手にすると、周りやみんなが気になってしまう・・・。
ダメ母でス・・・!!

 

我が家の場合・・・

この本を読んでいて、

我が家では

・七田式の教室に通い

・家でモンテッソーリをやり

・幼稚園ではとことん自由選択と集中をモットーに絵画制作に取り組んでいます

これって、筆者が必要と説いていた3つのこと

七田式→母子の愛着形成

おうちモンテ&幼稚園→集中できる環境

を自然と揃えてきたんだなと感じました。

 

あとは、褒めるでなく、感謝を伝える・・・!

ということで、寝る前に感謝タイムを設けて、子ども達や主人への感謝の気持ちを言い合って寝る・・・というのを習慣にしていきたいと思っています。

 

まとめ

未就園児をお持ちの方なら、一度読んでみてもいいかもと思う久しぶりの良書でした。

どこかで聞いた事のあるような理論もありますが、

筆者のビジネスパーソンとしての実績と、実際に園を運用するなかでの実績とで

とても迫力のある理論となって、展開されています。

 

昔、松下幸之助だったかな、

結局、経営者は教育事業にいきつく・・・みたいなことを言っていて。

 

経営する中で、人の育成に目がいくようになり、

結局幼児期の教育が大事だ!ってところにたどり着くのかな〜って

本書を読みながらそんなことを思い出していました。

 

ソニーの井深さんも、「幼稚園では遅すぎる!」という早期教育ブームの先駆けとなった本を今から30年程前に出版されていますもんね。

(結局、その内容は、彼の思い込み的なものも多くて理論的には??だったのですが、

その中でも確かな手法として取り上げられていたのはモンテッソーリや鈴木メソードでした)

 

以上、参考になれば嬉しいです。

 

ゆうままでした!

 

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